副業始めたはいいものの全然稼げてない、ってこと、ないですか。私はある。というか、副業を軽い気持ちで始めた人のほぼ全員が一度は通る道な気がしている。SNS開けば「月5万稼げました」「スキマ時間でこれだけ」みたいな投稿が流れてきて、こっちは時給換算したら最低賃金以下、みたいな現実とのギャップに勝手に焦る。あの焦燥感、なんなんだろうね。
「稼げていない」の基準、そもそも誰が決めたのか
まず疑いたいのが、「稼げていない」って感覚の出どころ。だいたいの場合、これって他人の成功報告と自分の現状を比べて生まれてる。でもその比較対象、フォロワー数万人のインフルエンサーだったり、副業歴5年のベテランだったりすることが多い。始めて2〜3ヶ月の自分と、実績を積んだ他人を並べて焦るのは、そもそも比較として成立していない。
時給換算すると悲惨、というのもよく聞く話だけど、これも見方次第だと思う。新しいスキルを覚えている最中の労力を、時給という単位一本で測ろうとするから苦しくなる。学校の授業料を時給換算して「元が取れてない」って嘆く人はいないのに、副業だとなぜかそれをやってしまう。スキル習得のコストと、稼働そのものの対価を、同じ天秤に乗せていないか一度点検してみる価値はある。
楽して稼ぎたい、それ自体は別に悪くない
ここで開き直っておきたいんだけど、「労力かけずに稼ぎたい」という欲望、私はまったく悪いものだと思っていない。むしろ合理的な発想だとすら思う。同じ収入を得られるなら労力は少ないほうがいい、これは経済学的にもごく普通の考え方で、恥じる必要はまるでない。問題は欲望そのものじゃなくて、その欲望を叶える手段の選び方の方にある。
労力対効果を考えるって、要するに自分の時間の値段を意識するってことだ。副業の時給が本業より低いなら、その時間を本業のスキルアップや休息に回した方が長期的には得、という判断だって十分にありえる。稼げていない焦りに突き動かされて、とにかく手を動かし続けるのが正解とは限らない。撤退や配分の見直しも、立派な戦略の一つだと思っている。
「労力ゼロ」を売る側の存在は、割と昔からある
ただ、ここで足を踏み外すと厄介なのが、「労力ゼロで稼げる」を謳う情報や商材の存在。副業は本来、時間なり知識なりを投じて対価を得る営みなのに、そこに「何もしなくていい」という言葉がくっつくと、途端に怪しくなる。投資の世界でも「ほったらかしで増える」系の話はよくあるけど、あれも実際は最初の設計や継続的な監視という労力を、後から見えにくくしているだけのことが多い。
正直に言うと、私も昔は「コピペするだけで報酬発生」みたいな触れ込みを、完全には疑いきれなかった時期がある。労力ゼロという言葉の魅力に、判断力ごと持っていかれかけたというのが正しい。今振り返ると、そういう話のほとんどは「最初の仕組み作り」という一番重い労力を、うまく隠して見せているだけだった。積立投資が「ほったらかし」に見えるのも、口座開設や商品選定、暴落時に狼狽売りしない心構えという事前の労力を払い終えているからで、決して労力ゼロで始まったわけじゃない。
楽したいなら、先に労力を払うしかない
ここまで考えて、自分なりに落ち着いた結論がある。労力をかけずに収入を得る状態は、後から手に入るものであって、最初から存在するものではない。これは投資助言でも精神論でもなく、単純な時系列の話だと思っている。仕組みを作る、スキルを磨く、信用を積む、どれも最初の局面では労力の塊で、そこを飛ばして「楽な収入」だけを先取りしようとするから、焦りと怪しい話の両方を呼び込んでしまう。
だから副業で稼げていない焦燥感に対する私の答えはシンプルで、「今は労力を先払いしている期間」だと捉え直すこと。これで焦りが消えるわけじゃないけど、少なくとも「自分だけ出遅れている」という的外れな比較からは降りられる。楽して稼ぎたいという気持ちを否定せず、でもその楽は今すぐ手に入らないと認める。この二つは矛盾せず両立できる、というのが今のところの私の立場だ。
とはいえ、どこまでを「先払いの労力」と呼んで、どこからを「無駄な遠回り」と呼ぶのか、その線引きは正直まだ自分の中でも揺れている。ここは焦らず、もう少し様子を見ながら考えていきたいところ。ではまた。