アニメの感想とか漫画のレビューとか、検索して10個くらい記事を開くと、だいたい同じことが同じ順番で書いてある。あれ、なんでだろうって最近よく思う。
あらすじがあって、見どころが3つくらい箇条書きになっていて、最後に「気になる方はぜひチェックしてみてください」で締める。読みやすいし親切なんだけど、10個読んでも1個読んだのと同じ情報量しか残らない。誰が書いたのか、その人がどこで笑ってどこで胸が詰まったのか、そういう体温みたいなものがすっぽり抜け落ちている記事に、正直ちょっと飽きてきている自分がいる。
検索上位に出やすい書き方と、読んでて楽しい書き方は別物
これはたぶん仕方ない部分もあって、検索から人に来てもらおうとすると、どうしても「誰が読んでも分かる」書き方に寄っていく。専門用語を避けて、ネタバレを避けて、好き嫌いをはっきり書くのも避けて、当たり障りのない範囲に収めていく。その結果、情報としては正しいけど、読み物としては誰の心にも引っかからない文章が量産される。私自身、節約や副業の記事を書くときはこの「分かりやすさ優先」の感覚を大事にしているけれど、趣味の話まで同じテンションでやられると、正直つまらないなと感じてしまう。
趣味の記事に求めているものって、正確さより先に「この人はここが好きなんだな」という熱の方だと思う。多少説明が雑でも、話が脱線しても、好きなキャラの話になった瞬間に急に文章が早口になる、みたいな記事の方がずっと読み進めたくなる。整っている文章より、偏っている文章の方が結局印象に残る。これは自分がブログを書き続けてきて、なんとなく確信に近づいてきた感覚でもある。
時間とお金のかけ方にこそ、その人らしさが出る
趣味との付き合い方って、結局は時間とお金の配分の話でもある。同じ作品が好きでも、原作を追う人、アニメだけ楽しむ人、円盤や設定資料集までじっくり集める人、グッズにはあまり興味がなくて考察サイトを読み漁る人、いろんなタイプがいる。何にどれだけ時間やお金を割くかは人によってバラバラで、その配分こそがその人の「好きの形」そのものだと思う。
だから感想記事も本当は、そこがもっと出ていていいはずなんだよね。「今月は他の出費を我慢してでもこの作品のグッズに使った」でもいいし、「お金はかけないけど毎週配信日だけは絶対に予定を空ける」でもいい。時間とお金の使い方の癖こそが、その人がどれくらいその作品を大事にしているかの正直な証拠になる。節約というと切り詰める話に聞こえがちだけど、好きなものにちゃんと配分を残すための調整でもあるわけで、そこの匙加減の話は本来もっと個人差が出て面白いところのはずだ。
粗くていいから、自分にしか書けない一文を残したい
私はブログを書くとき、正しさよりも「これは自分の言葉だな」と思える一文が一つでも入っているかを気にしている。テンプレ的な感想の羅列になりそうな時ほど、あえて余計な一言を足したくなる。それが読みやすさを損なうこともあるかもしれないけど、それでも構わないと思っている。無難にまとめて誰の記憶にも残らないより、多少癖があっても「あの記事、あの一文だけ覚えてる」と言われる方がずっと嬉しい。
これは他人の書き方を否定したいわけじゃなくて、単純に自分の好みの話。量産型の丁寧な記事にも助けられることは普通にあるし、情報収集の初手としてはむしろありがたい。ただ、自分が書く側に回るときは、そっちには寄せたくないなというだけの話だ。好きの熱量を薄めてまで読みやすさを取りにいくくらいなら、多少読みにくくても、その熱をそのまま出したい。趣味の話でまで綺麗にまとまろうとしなくていいじゃないか、と思っている。
だから最近は、感想を書くときに「これ、自分以外の誰かでも書ける文章になってないか」を一つの基準にしている。なってたら、たぶんまだ本音を出し切れていない。逆に読み返して恥ずかしいくらい熱がこもっている時の方が、後から自分で読んでも面白い。ブログなんて結局、自分のための記録でもあるわけだし。
ではまた。