最近また、昔のゲームを引っ張り出してきてしまった。別に懐かしさに浸りたかったわけじゃなくて、なんとなく手が伸びた。それでいざ電源を入れてみると、これがまあ普通に面白い。「懐かしいなあ」で終わらせるつもりが、気づいたら1時間以上経っていた。
制限があるからこそ生まれた工夫

レトロゲームって、今の基準で見るとできないことだらけなんだよね。色数は少ないし、音源のチャンネル数も限られてるし、容量なんて今のゲームの1シーンにも満たないくらい小さい。でもその制約の中で「どう見せるか」「どう伝えるか」をめちゃくちゃ工夫してるのが伝わってくる。ドット絵一つでキャラクターの喜怒哀楽を表現したり、短いフレーズの繰り返しなのに耳に残る曲を作ったり。
これって今の潤沢なリソースがある環境ではむしろ生まれにくい発想だと思う。何でもできるとなると、逆に「削る」判断が難しくなる。制限があったからこそ、作り手が本当に大事なところにエネルギーを集中できた。そう考えると、あの頃のゲームの完成度の高さって偶然じゃなくて必然だったのかもしれない。
短い時間でも満足できる設計
もう一つ、今の自分の生活と相性がいいなと思うのが「短時間で区切りがつく」という作り。今のゲームはオープンワールドだったりオンライン要素があったり、腰を据えてじっくり遊ぶことが前提のものが多い。もちろんそれはそれで楽しいんだけど、平日の夜にちょっとだけ遊びたいってときに向いてるのは断然レトロゲームの方だと思う。
ステージクリア制だったり、1プレイが数十分で終わる設計だったり。セーブなしでも成立するようにゲーム側が調整されてるから、隙間時間にサクッと起動してサクッと終われる。これは時間をお金と同じくらい大事な資源として考えたとき、地味だけどかなり大きなメリットだと思う。
お金のかけ方は人それぞれでいい
レトロゲームの世界に足を踏み入れると、実機で揃えるか、配信サービスやエミュレーションで手軽に楽しむかっていう選択が出てくる。実機とソフトを集める楽しさは分かる。パッケージの質感とか、カートリッジを挿す儀式感とか、あれはあれで独特の満足感がある。ただそれを全部やろうとすると、状態のいい実機やソフトの相場は年々じわじわ上がっていて、気づけば結構な出費になっていたりする。
正直、そこにお金をかけるかどうかは趣味の優先順位の問題であって、正解はないと思う。ただ私自身は、今遊べればそれでいいという立場だから、配信サービスや復刻版で十分満足できる派。「本物のカートリッジじゃないと意味がない」とまでは思わない。遊びたいときに気軽に遊べることの方が、自分にとっては価値が高い。
懐かしさだけで語られるのは違う気がする
レトロゲームの話になると「思い出補正でしょ」と言われることがあるけど、それだけじゃ説明がつかないと思ってる。当時を知らない若い世代が今プレイしてハマるケースも普通にあるわけで、それって思い出のフィルターなんて関係なく、ゲームそのものの設計が今でも通用してるってことだと思う。古いものが残っているのは、単に懐かしいからじゃなくて、今遊んでも普通に面白いから、というのが私の考え。
もちろん粗さもある。理不尽な難易度だったり、説明不足なところだったり。でもその粗さごと含めて「作った人の手触り」が感じられるのも含めて味だと思っている。
ではまた。