「フロイト アドラー」と検索すると、候補に「違い」「関係」が並びます。2人とも心理学の教科書に必ず出てくる人物で、しかも同じウィーンで同じ時期に活動していました。何が違って、なぜ別れたのかが気になる人が多いということです。
この2人は、決別した後にそれぞれの本の中で相手のことを書いています。フロイトは1914年の『精神分析運動の歴史』で、アドラーは1931年の『人生の意味の心理学』でです。どちらも英語の全文が公開されているので、原文を読み比べました。
この記事は、アドラー心理学を「本人の原文」と「その後のデータ」で確かめる連載の1本です。これまでに「トラウマは存在しない」は原文にあるのかなどを調べてきました。
先に結論
- アドラーは1902年からフロイトの研究会に加わり、1910年にはウィーンの精神分析の会の会長になりました。1911年に会を離れ、自分の学派を作ります。
- フロイトは1914年の本で、アドラーを「優れた頭脳の持ち主」と認めつつ、理論は「否定するものによって特徴づけられる」と厳しく批判しています。
- アドラーは1931年の本で、フロイトの理論から「興味深く価値あるヒントを多く得られる」と認めつつ、「甘やかされた子どもの心理学」と書いています。
- 2人の違いを一言で言うと、フロイトは「抑圧と性的な動機」を、アドラーは「人を1つのまとまりとして見ること」を中心に置きました。
- 互いを認める言葉と、強い批判が、同じ本の中に並んでいます。どちらか一方を悪者にする話ではありません。
2人の関係を年表で確認する
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1900年 | フロイト『夢解釈』が出る(奥付は1900年) |
| 1902年 | フロイトの招きで、アドラーらが毎週水曜の研究会に加わる |
| 1910年 | 国際精神分析協会ができ、フロイトがウィーン支部の会長をアドラーに譲る。アドラーとシュテーケルが雑誌を創刊 |
| 1911年夏 | アドラーが雑誌の編集から退き、ウィーンの会も離れる。「自由精神分析協会」を作る |
| 1912年頃 | 自分の学派を「個人心理学」と名乗る |
| 1914年 | フロイトが『精神分析運動の歴史』でアドラーを批判 |
| 1931年 | アドラー『人生の意味の心理学』。夢の章などでフロイトを批判 |
| 1937年 | アドラーが講演旅行中のスコットランドで亡くなる |
よく「アドラーはフロイトの弟子」と紹介されます。しかし、アドラー本人は生前、自分は弟子ではないと主張していました。研究会に招かれた時点で、アドラーはすでに開業医でした。弟子というより、同じ会で議論した仲間に近い立場です。
フロイトはアドラーをどう書いたか(1914年)
フロイトの『精神分析運動の歴史』は、精神分析がどう広まり、誰が離れていったかを本人が書いた本です。1917年の英訳版を見ると、アドラーの名前は約60回出てきます。同じく離れていったユングとともに、本の後半の大きな部分を占めています。
まず、フロイトはアドラーの能力を認めています。
I had the opportunity of studying Dr. Adler many years and have never denied him the testimonial of having a superior mind, especially endowed speculatively.
(私は長年アドラー博士を見てきたが、特に思索に優れた頭脳の持ち主だという評価を、一度も否定したことはない。)
そのうえで、理論については厳しく書いています。アドラーの理論は「主張することよりも、否定することによって特徴づけられる」。中身は次の3つから成る、という評価です。
- 余計だが認めてよい、自我心理学への貢献
- 精神分析の事実を、新しい用語に言い換えたもの
- 自説に合わない事実を、ゆがめたもの
決別の経緯も書かれています。面白いのは、同じ本の中で説明が2通りあることです。
- 雑誌の告知として: アドラー博士は、意見の違いから「自分の意思で」協力をやめると決めた。
- フロイト本人の言葉として: 意見の違いがはっきりした後、アドラーの編集からの辞任を「私がもたらさざるを得なかった」。
同じ出来事を、告知では自発的な辞任、フロイト自身の説明では「自分が辞任に至らせた」と、2通りに書いていることになります。
アドラーの気持ちについても、フロイトは本人の言葉を引いています。ウィーンの会の少人数の場で、アドラーはこう言ったそうです。「一生あなたの陰に立っているのが、そんなに楽しいことだと思いますか」。フロイトは、若い人が野心を持つこと自体は問題ないとしつつ、その野心が著作を不公平にしている、と批判しました。
そして最後は、こう締めくくられます。地上には広い場所があり、できる人は自由に動き回ってよい。ただ、もう分かり合えない者同士が同じ屋根の下に住み続けるのは望ましくない。
アドラーはフロイトをどう書いたか(1931年)
アドラーの『人生の意味の心理学』では、フロイトの名前(Freudian等を含む)は本文に12回出てきます。フロイト側の約60回と比べると、ずっと少ない数です。多くは夢を扱った第5章にあります。
アドラーもまず、フロイトを認めるところから始めています。夢を科学的に理解しようとする試みは、フロイト学派と個人心理学の2つしかない、と書いています(p.93)。さらに、フロイトの研究からは「興味深く価値あるヒントを多く得られる」と書きました。特に「大事なのは夢そのものではなく、その下にある考えだ」という点は役に立つ、と評価しています(p.96)。
その一方で、批判は鋭いです。一番強い言葉はこの一文です(p.97)。
if we look closely we shall find that the Freudian theory is the consistent psychology of the pampered child
(よく見れば、フロイトの理論は、甘やかされた子どもの心理学を首尾一貫させたものだと分かる。)
アドラーの言い分はこうです。フロイトは、夢の目的を「満たされない欲求を満たすこと」だと考えた。しかしその考えが当てはまるのは、「自分は何をもらえるか」ばかり考える、甘やかされて育った人だけだ。満足を求める気持ちは、人が上を目指す無数の形の1つにすぎず、人格全体の中心には置けない(p.97〜98)。
アドラーは、エディプス・コンプレックスも書き換えています(p.126〜127)。男の子が母親を独り占めしたがり、父親を敵視するという説です。アドラーによれば、エディプス・コンプレックスは性的な欲求ではなく、母親を支配して自分の召し使いにしたいという欲求だ。しかも、母親に甘やかされた子どもにしか起こらない、という主張です。
何が違うのか: 4つの点で比べる
2人の本の記述を並べると、違いは次の4点にまとまります。
| 論点 | フロイト | アドラー |
|---|---|---|
| 心の見方 | 抑圧と無意識を重く見る(アドラーから見ると「意識と無意識の対立」) | 人は1つのまとまり。意識と無意識は対立しない |
| 人を動かす力 | 性的な欲求(リビドー)を重く見る | 劣等感を乗り越えて上を目指す気持ち |
| 夢 | 満たされない願いをかなえるもの | 眠りの中で問題を解こうとする試み |
| エディプス・コンプレックス | 子どもに広く見られる性的な欲求 | 甘やかされた子どもの支配欲 |
フロイトから見ると、アドラーは抑圧や性的な欲求といった精神分析の中心を「否定した」人です。フロイトは本の中で、アドラーは抑圧の原理を一度も理解しなかった、とまで書いています。
アドラーから見ると、フロイトは人の心を「昼と夜」「意識と無意識」のように対立するものに分けすぎた人です。アドラーは、対立に見えるものは実は「程度の差」にすぎない、と書いています(p.95〜96)。
どちらが正しいかを、この2冊だけで決めることはできません。ただ、どこで分かれたのかは、原文を読むとはっきりします。
連載の視点: 決別から何が読み取れるか
この連載は、自分を責めがちな人が、少し自分を認めて生きられるようにすることを目的にしています。その視点で見ると、2人の決別には1つ大事な点があります。
2人とも、相手を全否定はしていません。フロイトは「優れた頭脳」と書き、アドラーは「価値あるヒント」と書いています。そのうえで、「ここは違う」とはっきり言っています。そして、同じ屋根の下にいることをやめ、それぞれの道を進みました。
フロイトが書いた発言が本当なら、アドラーは自分の考えで生きるために、師とも呼ばれる人から離れたことになります。後にアドラーが「自分は弟子ではない」と主張していたことも、この決別と重なって見えます。
もちろん、本の中の悪口がきれいなものだったわけではありません。フロイトの本には、相手の性格まで責める言葉が並んでいます。アドラーの「甘やかされた子どもの心理学」も、相当きつい言い方です。偉人でも、別れの後は感情的になる。原文を読むと、その当たり前のことも分かります。
まとめ
- アドラーは1902年からフロイトの研究会に参加し、1910年にウィーンの会の会長になった。1911年に離れ、後に「個人心理学」を名乗った。
- フロイトは1914年の本で、アドラーを「優れた頭脳」と認めつつ、理論を「否定するもの」と批判した。辞任は「私がもたらさざるを得なかった」とも書いている。
- アドラーは1931年の本で、フロイトから「価値あるヒント」を得たと認めつつ、「甘やかされた子どもの心理学」と書いた。
- 違いの中心は、フロイトが抑圧と性的な動機を、アドラーが人のまとまりと目的を重く見たこと。
連載では、フロイトの「無意識」や「防衛機制」も、原典とその後の研究で確かめていく予定です。
出典
- Sigmund Freud, The History of the Psychoanalytic Movement, translated by A. A. Brill, Nervous and Mental Disease Publishing Company, New York, 1917(原著は1914年)。Project Gutenberg #76298 https://www.gutenberg.org/ebooks/76298
- Alfred Adler, What Life Should Mean to You, edited by Alan Porter, George Allen & Unwin, London, 1933(初版は1931年、米国)。インターネットアーカイブ公開の全文 https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.221693 (p.93〜98, p.126〜127)
- A. H. Maslow, "Was Adler a disciple of Freud? A note." Journal of Individual Psychology, 18, 1962, pp.125-135
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