そろそろ落ち着いた頃だろうか。Twitterで食事代は男性が払うべきという論争。
何回も何回も同じ話をわちゃわちゃ言ってるけど、これだけ何回も擦られるってことは人類にとって何か必要なことなのかもしれない。
というわけで、私個人としても関わってくることなので一つの答えを解説しようと思う。
結論、男性は払うべきである
なぜならそれは投資のようなものだからだ。
よく話されているメイク代がとか美容院がとか服とか、ネイルとか出資がどうとか本当にどうでもいい話。
いくら使っているとか全くもってどうでもいい。
食事代を払うだけで理想の女性を射止められる可能性が上がる。こんなに安い出費はない。
男性にとって女性の優先度は最も高い
全ての男性は一度自分の胸に手をあてて聞いてみるといい。人生の至上命題「理想の女性を射止めるために、子孫を残しなさい」と。
いや俺はそういうのいいんでっってほかにやることあるんでって人は賢くなりすぎている。趣味、世界貢献、環境問題。そんなの二の次、三の次の話なのに。
人類の生存戦略は子孫を残す以外にないし、これ以上の喜びはない。もちろんDNAの問題でできない人も一定数いるが、今回はそういう話をしたいわけではない。
生き物というカテゴリーの中で絶滅するかしないかの話をしている。
好感度をお金で買うのが最も楽
理想の女性からの好感度をお金で買えるなんですごいことではないだろうか。
相手の心に響かせるのに時間や体力を使うことも必要だが、お金で解決できることは多い。
意中の女性に対して食事代を出すことで好感度を買って成約率を上げる。
食事代は投資だ。
食事代の支払い足切りライン
全員というわけではないが、支払わないと無駄に減点してくる。
食事代の支払いは好感度を下げない手段となる。
ただスタートラインに立ったというだけでこれから何をして喜ばせるかがあなたの腕にかかっている。
興味がない女性と食事に行くな
というか、意中ではないなら払わなくていい。食事は投資、出すことに意味がないなら残酷だが割り切るべき。
払いたくない食事に行った時点で負け
というか意中でない女性と食事に行ってる時間が無駄というか、そんなことに使っている時点で負けてる。相手にも悪いしお互いのメリットがない。もっと自分を大切にしてほしい。
成約したら投資しなくてOK
なんなら釣った魚に餌はあげなくていい。好感度を買い続けたいなら払い続ければいい。
成約率を高めるための投資でしかない。
女性は生活力を、男性は若さを求める
子孫繁栄を願うのは男性だけではない。女性の理想は男性の生活力だ。お互いを求めるものが違うのでお互いがそれを理解し、提供できるかどうかにかかっている。
あくまで関係性はイーブン。どちらかが偏れば破綻する。
食事のグレードは高すぎなくていい
さて、ここで疑問が沸く。金が無い男性は詰んでいるんじゃないか?と。
来世に期待するしかないのかと。
そういうわけではないので安心してほしい。
食事代1万円オーバーは高すぎ
お会計で1万円はどんだけリッチな生活してんだって話。食事代1万円ってことは毎週食べにいって月4万円。これって一人暮らしの平均食費くらいになる。それが4日で消費してしまう。
ただ身構える必要はないとはいえ、サイゼリアやマクドナルドとかのデート感を感じさせないのは足切り案件。
焼き鳥屋さんや、チェーンの居酒屋ならOK。日常ではいかないけどそんな特別でなくても行く店ならあり。
二人でも安くて3,000円、高くても8,000円以内で収まるような店選びが大事。
食事代1万円は高すぎ。
余裕がある人ならいいけど。
・月収20万円~25万円くらいなら8,000円隔週1回
・月収25万円~30万円くらいなら8,000円週1回
・月収30万円以上8,000円週2回くらい
これくらいが目安かなと思う。
ただ飯に行って良いは勝ち
朗報というか、これは普通だと思ってほしいのは、行きたくない人とはただ飯でも行かないのが女性である。
なので来てくれるということはそれなりにポジティブに考えてほしい。ただ男性としてみていない、安牌だと思われるのは違う。
同じ時間を過ごしてもいい
足切りラインさえ超えていればここから射止めることもできるのだ。
時間は有限、無駄にするな
このブログでは効率的なことやそれなりに書いてきたが、今が一番若い日なのだ。そんな若い日をどのように使うかが本当に重要になっている。
未来の為、現在の為にできる最大限の行動をするべきである。全ては自分のため、誘われたから、なんか行けそうだからで決定してしまうのはもったいない。
「男性は女性の食事代を払うべき」という論争の発端
本質的に女性に対して適当なことをしているもしくは、めんどくさいと思っているからそんなこと言われたりしている。
男性は食事に行く女性をもっと見直してほしい。投資に値するかどうか、そしてそれなら行く意味がないということを。
未来永劫繁栄していくことを願う。