【振り返り】私が私であるために【子育て・教育方針・悩み】

私はまだ結婚していなければその予定もまだないしお金が特にないんだけども、もし子供が出来たら私の子供にはできれば私のような人格に育って欲しいと思う。

と考えた時にふと私の今ってどうやってできたんだろうかと考えた。昨今親ガチャとかいう言葉も流行っているので、今回は私の37年間を振り返りながら私の人格形成への影響が大きかった要因を模索してみる。できるだけ赤裸々に。

完全に私の自己分析をするだけの私のための記事であり、ながながと書くことになると思うけども、子育てを検討している人、始まる人、悩んでいる人の参考に慣れば幸い。

きなこ
KINAKOです。TwitterInstagramをやっています。自己紹介

幼稚園時代まで

貧乏でも裕福でもないただひとしきり愛を受けた家庭に生まれた。

記憶があるのは幼稚園くらいだが、ヒーローごっこを一人でするのが好きだった。母の友達繋がりで女の子の友達と遊ぶことが多く、基本的にままごとをしていた記憶がある。みんな今も元気しているだろうか。

風邪をめちゃくちゃ引く子だった。幼稚園を半分くらい休んでいた気がする。病弱だったな。たぶん。

あとレゴが大好きでブロックを組み合わせて、想像を形にするのが何より楽しかった。

家から出たいと思ったことがないのは今でも同じだ。家にいても楽しいことがあり、自分から出ようとは思わない。要は陰キャだったな。

小学校時代

打って変わって小学校時代は外に出まくった。風邪もひきにくくなり、友達も男女関係なく集まるのが当たり前だった。10人以上集まることが多かったのでキックベースやケイドロを毎日やりまくってた。たまに集まらない日は駄菓子屋のアーケードゲームしまくってたな。

学校生活では一年生の時に何をしたか覚えていないが担任の先生に頭をげんこつで殴られたことと、ねんど制作でかっこいいロボットを作ったら同級生にイチャモンつけられて踏まれたな。習い事は英会話を毎週木曜日行ってたけどその木曜日が嫌でしょうがなかった。今でも木曜日は何もないけど嫌なイメージが残っている。

趣味はゲームとアニメだった、FF5とかドラクエ6とかカービィもやったな。アニメはその事やってた地上波はだいたい観ていた。お笑いも好きでごっつええ感じは欠かさず観て笑ってたな。吉本新喜劇は観ながらお昼ごはんを食べるのが習慣になってたな。

友達がデジモンのゲームを万引きしてきたやつを500円で買ったな。後で大問題になって大変なことになって辞める。

家族で3ヶ月に一回くらい近くにある会席料理屋さんがあってそこで食べる雑炊が美味しかったな。確か3000円くらいしたと思う。あれは美味しかった。

日曜日はサッカークラブに行ってたけど、試合の日は出たくなかったから休んでた。

中学校時代

友達に誘われてバスケ部。運動神経は人並みやし、周りは意識高いから補欠。ただ長距離走は部内2位だった。スタミナがあるわけじゃなかったが得意だった。

休み時間は寝てるか、だべってるかってよくある学生だったな。

当時はカードゲームで遊戯王だのマジック・ザ・ギャザリングにはまってた。漫画もこの頃から読み出して初めて買ったのがコナンにクレヨンしんちゃんだったわ。ジャンプ系漫画は全く知らなくて、月刊ガンガンが好きで読んでた。

この頃からお小遣いもらって、月3000円もらってたから中学生としてはかなり自由な生活を送っていた。この頃からいろんなことに興味が出てきて、その行動力は今はない。

勉強に関しては中くらい、進学に不安があったから学習塾に通ってた。いつも帰りは友達と外で話して夜23時くらいまでになってた。んでもって朝7時起きだったからこの頃の寝不足が今でも尾を引いてる。言ってやりたい若さでどうにかなるのは一瞬だって。変えるのはなかなか大変だぞって。

ただ勉強のおかげもあってというか誰でも行けるんやけど高校進学といった流れ。

高校時代

高校に入ると、バスケを続けるか迷ったけど補欠だし得意ではなかったから、走るのが得意だったから陸上部かなぁと思いつつ帰宅部に。そうしてたら親友からハンドボール部行かね?って言われてなんとなく行ったら面白くて入部。この部活が俺にとって金の思い出となっている。初めての携帯もこの時期か、着信鳴って先生に取り上げられて放課後呼び出しとかあったな。

勉強はほとんどやらず部活と遊びの毎日だった。というか部活の子達でしか話さなかった。

3年生になってパソコンを買ってもらい、ネットゲームをやる。その頃はボイスチャットなんてできるわけもなかったから、タイピング命だった。2ch掲示板が流行っていただたまに見るくらいだったな。変なウイルスにやられたりPCを出荷状態に何度もして直した。その頃やってたネットゲームがGODIUSだった。今21年目らしいわ。長寿ゲームだ。後はスコットランドヤードのネット版は楽しかった。

WINNYとかWinMXが流行った時期でもあった。違法ダウンロードで映画観まくったり、PCゲームを落としたりした。

学力が低下する一方だったので予備校に通わせてもらって、東進衛星予備校へ。猛勉強の末適当な大学は受けれる状態に。勉強はしてたけど、とある舞台を観て演劇の世界に行きたいと思い大芸大や近畿大学の門を叩く。大芸大は遠いしお金も高いから断念し、近畿大学は演劇のえの字も知らない人には意味のわからない実技に苦戦し落ちる。

なんとなく友達が行く予定にしていた大学へ受けたら受かったのでそこに。福祉系の大学に行くことになる。

大学時代

入学式に話しかけた人が今でも繋がっている親友になる。その時彼が財布を落としたか何かでお金が無いって言ってたから帰りの電車賃を貸したのがきっかけで仲良くなった。

最初は名前の順でグループ作られてたから合わなかったけど、時間が経つごとになんだかんだで10人くらいが集まって遊んだ。ソウルブラザーだ。

学生会っていう生徒会みたいなのに入って学校の色々を学生代表でさせてもらって、文化祭の時は商店街の方たちと飲みまくった。学校のお金使いまくった。

ボランティアで介護系行って、楽しくはあったけど仕事としては薄給で仕事するなら別でと思った。

バイトをしっかりやり始めた。焼肉屋とコンビニ深夜。月10万円を稼ぐのはなかなかしんどかった。学業も遊びもしてると働く時間ねぇよ!って思ってた。いやぁ甘い学生の考えは甘すぎるぜって今では思う。学生時代は一番いろいろな体力があったなと思う。

大学時代に彼女がいなかったのが今でも残念で、学生生活がもっと豊かになったのではと思いつつも親友たちがいる幸せを噛み締めてた。

車の免許を取り、車をローンで買い毎日乗り回してた。学生にはなかなかの金額だったので1年くらいしか保たず、トントンで売った。

相変わらずゲームはしていた。ネットゲームでこの頃からボイスチャットできるような環境だったから、サドンアタックやってわいわいしてた。それが今でも同じようにやってるから成長ねぇな俺ら。

PCで通信費払って、ゲームしてってなってて、スマホも合わせるとかなりの金額を払っているってことに気づき始める。

通信費かかっているなら、逆にそれを使って稼げないか調べだしたのが大学時代だった。

当時はブログってあんまりだった、ホームページビルダーを使って作成とかした。ネットワーク構築とかデータベース作成とか簡単な部分はやった。でもすぐ飽きた。オブジェクト指向とかうるせぇと思ってた。

サイト広告を観て稼ぐとか、ポイ活とかいろいろやって向いてないというかそういう努力の才能はないなと感じた。毎日とか無理だわって。

そこで目に入ったのがFXだった。いろんな国の指標を見たりローソク足みたりしながら経済の動向を調べることが楽しくてやり始めた。

大学在学中になんか声優になりたいというか演技学びたいと思い出し、養成所受けたら受かったから通うことになった。毎週様々なことやったが、今でも思うのはもっと能動的に動かなければいけないなと思った。後にそうやって行動して映画に雑用込で出させてもらったりしたけど、なんでもいいんやけどやりたいと思ったことは自分から行動しないと叶うものも叶わないと悟った。

ちなみに事務所は2年後潰れた。

フリーター時代

好きなことして生きているつもりだったが、なにかずっと引っかかる時期に突入。

モチベというものは何も無くただ今やりたいと思ったことを手当たり次第にやっていた。何したっけ…プログラマ、映画のエキストラ、コールセンターなどなど、とりあえず次をつなげるために仕事しなければ生きていけないから働いた。

なんやかんや時代

やりたいことって何かよくわからなくなって、楽して生きるにはとか、治験ってどうなんだろうとか、目の前のことしか考えていなかった。そんな中でもユニバで出演契約して出たものをきっかけに就活しようって思うようになった。

そういやその頃はあまりゲームもしてない時期になる。毎日のようにユニバで働いていたからだろう。この時が一番稼いでいたかもしれない。

正社員になって

フリーターって自由な時間はあるけど、何かと不安な要素がいっぱいだった。ただバイトを通して出会う人達の何事にも捕らわれない考え方に感動は覚えた。

そういった思いで正社員になるとね、色々とひっかかるのよ。時にぶつかり、時に蔑まれ。あぁ人の当たり前は自分の当たり前ではないなぁっと痛感した。

当たり前って脳死状態なんだなって自分自身にも言い聞かせた。

ここから仕事しながらも、副業というか自身のキャッシュフローに関して学び始める。未来生きていくことを見据えたら今何するべきか見えてくる。

副業なにそれ儲かるの

副業って時間を割いてなにかするのは変わりないんだけど、それがすぐ対価になるのか対価を生むものを作るのかで違ってくることを理解する。お金でお金を稼いでもらう。これが私が目指すべき自由と経験を得るために必要なことだ。やってみるかと思う。

現在

ブログやAmazon販売や起業について未だ目下なにかに夢中で勉強する。勉強して分かった気になることはやめることにして、あの子供の頃にあったモチベを奮い起こしながら挑戦してみるようになる。事業を起こすにも様々やらなければならないことがあることを痛感し挫折しそうになるが、友人も挑戦しているので今でも続いている。

こういった挑戦のときに口出す人は何もしてない人だったら聞く耳を持つと後悔する。せめて挫折を味わった人からの意見は参考にするべきである。何もしてない人の言葉はいかに身内であったとしてもだ。挑戦しようとして同じ道を通った人がやめておいたほうがいいと言うなら考えてもいいが、結局は自身がやるかやらないかだ。「やっぱり」とか自分優位に立った気になって言うやつは自身の成長を止める悪魔なので気をつけたほうが良い。

友達関係

友人がいたからこそ今まで生きてこれたと思う。特別なにかされたとかではないが一緒に遊ぶ存在が居てくれるって本当に幸せだ。死ぬまで大切にするだけの価値がある。歳を取るとなかなか会う機会も少なくなるだろうが、一生モノだと私は思う。

社会に出て初めてわかること

一人暮らしも始めて、自分を維持するだけでそんなにお金かかるんだなって実感した。お金だけじゃなくて色々な申請書が必要だったり、生きるってめんどくさいことだらけだ。

親はそういうのを教える人ではなかったから、初体験ばかりで頭痛くなった。働いて掃除して洗濯して遊んで飲んで寝て、なんだ一日の時間が足りないぞ。

体力低下をひしひしと感じる。

当時のわたしは何も考える脳などないもんだったから、いろんなことを学ばず生きてきた。大学を卒業して自立を見据えた時に様々な面倒がいっきに押し寄せてきて今に至る。

今思うと今までのことは通過点に過ぎない。辛いことも楽しかったことも全て今から考えれば通過点でしかない。中学高校くらいは出た方が良い。停滞すると残りの人生に悪影響が大きすぎるように思う。立ち止まることだけはさせてはいけない。

成人してからは本人次第

勉強とか学校とかで培ったことが社会に活きていくのは明確だと思うが、そこまでに無知なりに経験させてきたことを使って、誰と会おうが、何を学ぼうがどこへ向かおうが良いと思う。親として逃げ道くらいは用意してあげればと思うが。

私は仕事に関しては何も言われなかった。正直ずっと実家にいるという選択をしても良かっただろう。たまの小言はあるが。

親ガチャに恵まれたのだろう。だからこそ家を出たいと思ったし、だからこそ色々学ばなければと思えた。そこで衝突することは多々あった。向いてないと思うことやあと10年早く経験していればと思うこともあった。だが、そういったことも全て自身のことを振り返ると私がそうしたいと思った時に行動させてもらえて、痛い目に合ったり、うまくいくまで頑張ったり、なにか言葉をかけるでもなく、支えてくれたのだと思う。そうでないと私は行動しないと知っていたから、待ってくれていたのだと思う。

感謝しかない。

なにかの参考になるか分からないが、少しでも同じような人がいるなら参考になれば幸いだし、応援している。

 

ではまた。

 

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