【月刊サバブロ 特別号】人は過ちを繰り返し成長する

想像力とか制作意欲とかある時は無尽蔵に思うけども、有限で終わりが必ずくる。

そうならないためにもいろんなことに触れて体験することが何より大事なのは至極当然なのだが、意欲がなくなった時にはもう遅く動かなくなってしまう。きっとそれは私だけではないだろう。

きなこ
KINAKOです。TwitterInstagramをやっています。自己紹介

 

ベストコンディションで動いていたことを、最低のコンディションの時に求められてもできるものではないが、プロはそういうことにならないようにベストコンディションに持っていく方法や維持する方法を知っている。私は凡人だが。

俗に言うインプットとアウトプットのバランスをしっかりすること、インプットだけでは何も生み出せず、アウトプットだけでは枯渇する。それは物質的なものから精神的なものまでなんにでも言えることである。

人は必ず過ちをおかす。完璧な人など存在しない、見える部分だけが完璧な人はいるかもしれない。見えないところではどうなっているかわからない。それも四六時中監視されれば完璧のレッテルは剥がれていくだろう。

はじめから完璧なら練習はいらない。

職人と言われる人たちも修行なんてしなくていい。

んなこたぁないんだよ。

度重なる修練、失敗を修正する努力。そういうのが積み重なって完成する。人間形成もそうやってできている。はじめからできる人はそれまでに何かしらの根拠がある。

芽が出る出ないは個人差がある。遺伝子も生まれも育ちも違うのだから当たり前だ。できるかできないかを決定するのは成すか成さないかしかないからだ。理由をつければ辞めることができる自由だ。なんにせよやる方法は探せばあるものだし、それこそ生み出せるものだ。諦めた理由は自分の意思だ。弱かったとかではなく、本当にやりたいことじゃなかった。それだけ。

人は過ちをおかす。赤ちゃんが成長が早いのは繰り返し失敗し修正しているからだ。大人の1年と赤ちゃんの1年は成長速度の観点からすると全然違う。もちろん成長する物事のハードルも違うので一概には言えないが。赤ちゃんがつべこべ考えてやらない。立つということを決めたら向き合うのは立つ自分と今の自分だけ、他に何も挟まないのだ。ミスをすれば誰かのせいにもしない。自分がそうしたいと考えたことに対して何か障害があったとしても自分のせいにする。だから修正する。

たとえば、何でも部下のせいにする上司がいる場合、売上が上がらないのは部下が頑張って営業しないからだと言う。そうではない。上司が部下を育てていないからとは思わない。だから修正しない。

たとえば、同級生が文化祭に意欲的に参加してくれないとする。文化祭は良いものにならない。同級生のせいだと考えるから文化祭は一向に成功しない。

当の本人の目的に対して、達成できないことを他人のせいした場合、結果本人が損をする。周りが何も変化せず自分が損をしている状態になる。上司が部下を焚きつけてあげたり、率先して行動することで売上は達成するかもしれない。同級生に何故参加しないのか話し合い、理解し合えればもっと楽しい文化祭ができたかも知れない。

やらないのは、めんどくさいという個人の理由なのだ。人には人の理由があるのに怠ってしまったから結果悪くなる。結局気づいた人や目的を持っている人が行動しなかったから駄目なわけで、原因は自分にあるのだ。なら相手は何故行動しないのかについてだが、それこそ話さなければならない。理解を得てもらわなければならない。やる理由があるようにやらない理由も必ずあるのだ。

毎日、毎時間、毎秒と人の心は常に揺れ動いていて、同じ答えが返ってくるなんてことはありえない。それは良くも悪くもだ。

そんな中で行動しているのに過ちが起こらないわけがない。休憩だって必要だし、息抜きだって必要だ。

ただ一つ諦めてほしくないのは自分の成長に関しては諦めないで欲しい。子供のときのようにすぐに治せるものではないかもしれないが、諦めないで欲しいのだ。これだからしょーがないはしょーがなくないのだ。相手に対してはそう思ってもいいと思うが、自分自身には言わないで上げてほしい。

成長というのは様々な壁を乗り越えて培われていくものだから、いつか乗り越えれることを信じて諦めないでほしい。いくら休憩したり息抜きで別のことをしててもいいからそうであってほしい。

ちなみに私は映画にセリフありで出ることをまだ諦めていない。

 

ではまた

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