サバゲが好きってことは銃が好きで、てことは戦争もってなるけど。軍事装備や車両が好きなだけで戦争は嫌いです。戦争がなければそういったものが生まれなかっただろうけど、それとこれとは別物。
戦争ってなんなんだろうな。争いってなくならないのはエゴを持っていてそのエゴが脅かされるから行われる行為で、自分の快適?プライド?を守るために戦ってる。
領土とかいう目には見えない線引をして、国境などつくることで、社会統制を図りやすくして、先祖たちはそれそれは偉大なことをしたのでしょう。相手を弾圧することで自国を正当化する行為は野蛮でしかない。
対話でしか平和な関係性は築けない
動物は言葉で主張はしない行動でアピールする。嫌なものには目を向けず、欲しいものは奪ってでも主張する。ただ人間は言葉を覚え使う。欲しいものがあれば宣言し、協議する。間違っていると感じれば反論し、和解を求める。
伝わるまで根気よくすれば、諦めて離れることもある。
対話において、主張したい人は相手を説得する義務がある。「埒が明かないから」「話ても無駄だ」となった場合、武力行使になってしまうのは間違いである。話にならない場合は相手が悪いのではなく、こちらの主張が相手に刺さらなかっただけなので、主張の通りに努力するのは自身となる。変化を求めている方が努力するのは当然である。対話において、変化を望む側が他力本願では戦争が起きるのは当然で、相手が変わってくれないから怒るのは本末転倒なのだ。ミサイルを撃っていいはずがない。
いかなる理由があっても武力行使は不幸しか産まない。対話の先に平和はある。
平和を望まないのは何故か
対話とはなにか、それは他を認めることでも、迎合することでもない。語り合うことで自身が形成されて人間としての生き方が決まる。対話することで相手がどう感じ、自分もどう感じ、自身の進むべき道がほのかに見えてくるのが対話である。
平和を望まない人達がいるのは、私利私欲に溺れているからで、どんなに自身の中では正論であったとしても相手を傷つけていいと理由はどこにもない。
自身を形成するのは対話から
対話とは別に人と人で行われる事だけではない。世の中の全てのものと接することが対話になる。例えば、風や水、火や鉄の声を聞いて仕事をしている人達がいる。いわゆる職人と言われる人たちは、扱うものと対話しながら作業している。味わい深いものだったり、温かみを感じたり、そういった対話によって作られたものはどこか良いと思う気がする。
大切に思う気持ち
誰しもが大切な気持ちを持っている。それは戦争をする人たちの中にもある。それがどんなことにもとなったら、無くなる。敵なんてものはいない。どんなことがあっても敵は存在しない。私欲を捨てろとまでは思わないが、どうか対話での解決を心から願っている。